わたくしの地元、さいたま市南浦和にある古本屋、ゆとぴやぶっくすのプロモーション用テーマソングをonettさんと制作させていただきました。歌と鍵盤ハーモニカの演奏をしております。
youtu.be
店主のご家族が、お会いしたことはないものの以前から曲を聴いており存じ上げていたonettさんであったという偶然のご縁から、テーマソング作りのお誘いをいただきました。
開店時から店主に何度もお伝えしていることは「この街に本屋を開いてくださってありがとうございます」ということです。ただでさえ書店の数が減少している*1世の中で、本を実際に手にとって選ぶことができる、知らない本に出会える場所がふらっと歩いて行ける距離にできたことが本当に嬉しいです。(最近群馬に引っ越してしまったので実際もう頻繁には行けなくなってしまったのですが...) また、買取に本を持ち込むのはお店の近辺に住む人々の割合が高いわけで、「こんな面白そうな本を読む人が私の周りに住んでいるんだ!」と、本棚を眺めながら間接的に地域のみなさんと交流している気分になれるのも新鮮です。お店は明るくあたたかい雰囲気で、本のジャンルも幅広く、きっと良い本との出会いがあると思いますので、みなさまぜひ足を運んでみてください。
埼玉・南浦和の古本屋 ゆとぴやぶっくす - さいたま・南浦和の古本屋さん
遅ればせながら2023.01-03の読書GOGOGO!
・家族最後の日|植本一子
ゆとぴやぶっくすにて購入。長らく2人の間で会話がなかったのに、石田さん(ECD)が入院してからは病室でよく話すようになる、という部分がリアルだなと思った。家族って、構成員の状況が変わったり、一人家からいなくなったりするとダイナミックに関係性が変化するなと思う。もう何十年も一緒に過ごしているのだから今更、と思いきや、一週間ぶりに家に帰るだけでも会話のリズムが微妙に変わっていたりする。
・自分ひとりの部屋|ヴァージニア・ウルフ
トロニーからもらった。もっと早くこの本を読んでいればよかったと思うし、この先何度も読み返すと思う。
みなさんには、何としてでもお金を手に入れてほしいとわたしは願っています。そのお金で旅行をしたり、余暇を過ごしたり、世界の未来ないし過去に思いを馳せたり、本を読んで夢想したり、街角をぶらついたり、思索の糸を流れに深く垂らしてみてほしいのです。(中略) 書物というのはたがいに影響し合うものですから、小説は詩や哲学と肩を並べることで、より面白くなるでしょう。それにまた、過去の優れたひとたち、たとえばサッフォーとか紫式部とかエミリー・ブロンテのことを考えれば、彼女たちは創始者であると同時に後継者でもあって、それ以前の女性が自然な書き方をするようになっていたからこそ、出現したのだとわかります。
直接的な連帯ではなく、時代も分野もまたがって間接的に作用する形の、ふんわりとした壮大なシスターフッドみたいなものがあると思う。実際自分も意識的・無意識的になんとなくロールモデルとする女性たち(心のオンニと呼んでいる)が居るし、彼女らの"自由を習慣とし、考えをそのまま書き表す勇気"みたいなものに影響を受けてここまで生きてきた。
・急に具合が悪くなる|宮野真生子・磯野真穂
どこかの疫学者が作った数式に則る「かもしれない」という数字が、ある個人の日々の在りようを一変させる、未来の可能性を閉じてしまう。
確率によって描かれる未来予想図の難しさは、それがどこまでいっても〈弱い〉運命論にしかなり得ないということです。運命論的な説明形式をとりながら、それにはいつも「かもしれない」という保留がつくので、提示された側は決めた道をそろそろと慎重に進む以外にありません。(中略)次々とふりかかる「かもしれない」の中で動きが取れなくなる。
宮野さんが闘い続けたガンと、我々が新型コロナウイルスの蔓延によって被った災難では次元が異なるが、日常のあらゆる選択をするにあたって直面する状況は似ていると思った。他者から明確に行動を禁止・制限されることはなく、あくまでも客観的で一般化可能なデータに基づいて各人が自分の意思で適切な行動を選択する、ということになっている。しかしリスクは確率で示される一方で身体は一つしかない以上、我々はなるべく安全と思われる道をそろそろと進まざるを得ない。わたし自身もこの3年間でずいぶん小さく小さく生きる癖がついてしまったなと思う。結局自分の意思で選んでいるのかもあいまいで、選んだ先の未来も不明瞭な〈弱い〉運命論に従うことがデフォルトである中で、災難に意味を与えてくれたり進むべき道を示してくれるような〈強い〉運命論は魅力的に見える。コロナ禍においてはそれは「コロナはただの風邪」といった言説とか各種の陰謀論とか、この3年を経てコロナに打ち勝った的な物語とかだろうか。自分は別にそれらを信じているわけではないが、全然わかるというか、共感はできる。私だって閉塞感を感じ続けることに疲れてしまったし。そして同時に〈弱い〉運命論に従うことに疲れたがんの患者も、似たようなプロセスを経て代替療法やスピリチュアルにハマっていくのだとすれば、少しは気持ちが理解できるような気がする。
・ケルト 再生の思想|鶴岡真弓
古代中世の北ヨーロッパではサウィン、インボルク、ベルティネ、ルーナサの四つの季節祭を節目に一年のサイクルが回り、大自然の生命循環の周期として捉えられていたとのこと。中でも興味深かったのは欧米におけるハロウィンの起源となっているサウィンと、北欧のミッドサマーのお祭りにも共通性がみられるベルティネ。この二つの大きな祭りを節目に「闇の半年(冬~春)」と「光の半年(夏~秋)」が入れ替わるという。今の感覚でもまあなんとなくは理解できるけど、照明がなく、自然の生命力をダイレクトに感じて暮らす農耕の時代、しかも日本より高緯度に位置するアイルランドなどではよりくっきりと光/闇のコントラストが実感できたのだろうなと思う。
・おはなしして子ちゃん|藤野 可織
「猿です」「魚です」の、猿と鮭の死骸をくっつけて人魚を作る話が好きだなあと思っていたら、この間テレビのニュースで、人の手によって作られた人魚のミイラが保存されているという話題が流れてびっくりした。本当の話に基づいていたんだ!今も岡山県で保存されているこのミイラは、人魚としての自覚を持てているだろうか、それとも猿であって魚である自分を受け入れているだろうかと思いを馳せました。
・コロナ禍日記|植本一子 他
ゆとぴやぶっくすにて購入。ドイツ在住の香山哲さんの日記が印象に残った。コロナウイルスの蔓延が始まったあたりのタイミングで、すれ違いざまに「コロナ」と呼ばれたり、わざと咳をかけれたりとアジア人差別に遭う頻度が加速度的に増えていく様子が生々しい。
・すこし低い孤高|ラショウ・香山哲
ゆとぴやぶっくすにて購入。自分のやりたいことをやって生きていくこと、働きながら創作/表現をするということについてのハウツーは、人によって無限通りあって、唯一の最適解など存在しない。ラショウ・香山両氏の会話から「自分の場合はどうかな?」とひとつひとつをぼんやりと自分に当てはめながら私なりの態度を考える。友達の話を聞いているときみたいだなと思ったし、リアルでも友達とこういう話がもっとしたい。
・父と私の桜尾通り商店街|今村夏子
今村さんの小説には子供の無邪気な傲慢さ、残酷さなどがよく出てくるなと思う。不意をつかれては力でだって子供には敵わない。大人としての体裁もあるし…
・選んだ孤独はよい孤独|山内マリコ
トロニーからもらった。古文の教師が定年前最後の授業でドラマティックな話をしてくれると思いきや、淡々と人生のなかでかかるお金や保険の話をしだすという「本当にあった話」という題の短編が良かった。自分より歳上の大人がつまらない道を真顔で選んで生きていることに気づいた時、見下すわけでも可笑しいと思うわけでもなく本当にただただ絶望するよね...