「静かに、ねぇ、静かに」を読んで

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 3話入りの短編集で、一番好きだったのは「本当の旅」というマレーシアに海外旅行に行く話。登場人物はいわゆるZ世代的な感覚を持っている3人組で、常識や固定観念に囚われない。ネガティブなことは口にしないし、常に動画を撮りあって共有して楽しんでいる。

"僕らはお金も持っていないし、名声とか地位もないけれども、こうやって友人と楽しいことをシェアしたり、嫌なことにウケたりすることで、現実を僕らなりのいい感じに編集していけるのかなあ。と思う。"この部分とかすごく肯定的に捉えられるし結構共感したが、一方で彼らは不必要な部分を切り取り除いて動画を編集するように、見たいもの、自分の信念を肯定するようなものだけを記憶して、不都合なことは見なかったことにする。理想をしきりに語るけど自分の振る舞いが滑稽なことには気づかない。それが災いして最終的にすごく怖い目に遭う。悪意のある書き方だなとも思ったが、登場人物のように振り切っていなくとも自分も彼らと同じようなことをしている部分はある。自分がつい最近オーストラリアに旅行に行ったこともあり、我が身を振り返らずにいられなかった。

 真夏のシドニーは、キラキラした日差しで照らされていて何を撮ってもよく映えた。ビーチや観光地、街中を映した写真・動画はどれも「絵に描いたようなバケーション」という感じだった。一方で、何が原因か分からない吐き気に襲われて一晩中吐き続けたし、白人に囲まれていると妙に緊張して、滞在しているホテルのあるアジア人地域に戻ると安心した。街中はゴミが多く汚かったし、賑わっている通りでも空き店舗がたくさんあることが気になった。スーパーで人とすれ違う際に露骨に咳をされて嫌な気分になったりもした。旅行から帰ってきて、日頃いわゆる"タフでグローバル"みたいな人物像を目指しているが、自分は実際脆くて弱くて、ローカルが心地いいのかもしれないな、と思って少し落ち込んだ。

 前者のようなポジティブな思い出だけを例えばインスタグラムにシェアしていれば、傍目からは充実している休暇中の旅行に見えるだろうし、そうした姿を他人に見せていれば、自分自身でもやがてそう思えてくる。具体的には、体調を崩したことやモヤモヤした出来事、それらをひっくるめて反省し落ち込んだようなことは少しの間覚えていても、何年か後にはこの旅行の印象は明るくて楽しかったものとして思い出されるんだと思う。実際そのようになった旅は今までにあった。でも今回それをしなかったのは、都合よく編集してしまっては「本当の旅」ではないと分かっていたからだと思う。理不尽な出来事、失敗した経験も自分の財産だし、それをできるだけ生のまま記憶しておきたいと思えたことは、この旅の素晴らしい効能でした。

 

#読書感想文の会

読書感想文の会やるやる詐欺でやらずにすみませんでした。夏休みの宿題が、冬休みになってしまいました。